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ポール・マッカートニーが、ザ・ビートルズの解散について振り返った。彼は、2021年10月23日に全編が放送される英BBC Radio 4シリーズ『This Cultural Life』のエピソードで、バンドの解散を決定づけたのが誰だったのかということについて事実関係を明らかにしている。  英紙ガーディアンでプレビューされたインタビューの一部でポールは、「分裂を引き起こしたのは僕じゃない。あれは我らがジョニーだった。ある日部屋に入ってきたジョンが、“僕はビートルズを去るよ”って言ったんだ。それって分裂を引き起こしているよね、違うかい?」と語っている。彼はまた、「これは僕のバンドで、仕事で、人生だったのだから、続いてほしかったよ」と当時の心情を明かしている。  人生で“最も困難な時期”だったいう当時を振り返りながらポールは、故ジョン・レノンの決断のあと、自身と残されたメンバーのリンゴ・スター故ジョージ・ハリスンは“困難な事態を収拾するしかなかった”と語っている。さらに、マネージャーのアレン・クラインがビジネス上の取引が成立するまで黙っているよう彼らに勧告したため、解散をめぐって混乱が生じてしまったと説明している。  ポールは、「だから数か月の間(問題がない)フリをしなければならなかった。僕らは皆ビートルズがおしまいだって知ってたのに、ただ背を向けるわけにもいかなかったし変な感じだった」と振り返っている。結果的にそんな状況に嫌気がさしたポールが、秘密を漏らした。「その頃、ちょっとしたミーティングばかりしてて最悪だった。僕たちの本質とは真逆だった。僕らはミュージシャンだったんだよ、ミーティングをする人じゃない」と彼は語っている。  ポールは1970年にビートルズを告訴したが、これは“信用できない”クラインにコントロールさせないためだったと説明している。「僕は戦わなければならなくて、戦うには他のビートルズ・メンバーも告訴しなければならなかった。クラインと同調していたからだ。何年も経ってから彼らは僕に礼を言ってきたよ」と彼は語っている。  ジョンが去る決断をしていなければ、バンドは続いていただろうとポールは考えており、「要はジョンがヨーコと新しい人生を作ろうとしていたってことだよ。ジョンはずっと社会から自由になりたがっていたんだ、ほら、抑圧的だったミミおばさんに育てられたから。自由になるきっかけをずっと探していたんだ」と語りつつも、オノ・ヨーコに責任があったとは思っておらず、「彼らは最高のカップルだったよ。(二人の関係には)巨大な強さがあった」と述べている。


ポール・マッカートニー、ザ・ビートルズ解散のきっかけは故ジョン・レノンの発言だったと語る(Billboard JAPAN) - Yahoo!ニュース




【海外の反応1】

誰に責任があるのかは、もはや重要ではないだろ。

50年以上前のことだ....Let it Be.



【海外の反応2】

レノンとオノはタバコを吸っていたと言われている。そのせいで二人はグループの枠内で演奏することができなかった。



【海外の反応3】

・彼には良いことだと思う。

いまだに同じ古い方式で焼き直しているAC/DCを見てみろ。




【海外の反応4】

・オノ・ヨーコがビートルズを解散させたんだ。彼女はジョンを他のメンバーと共有したくなかったと聞いた。

私はビートルズをよく知っていたわけではないが、今ではマージー・ビート※と呼ばれている広い音楽シーンに彼らはいた。彼らは小さなクラブやパブ、バーで演奏してた。レノンと同じアートスクールに通っていたんだが個人的に彼らと会ったことはない。後にマネージャーと知り合いになっただけだがいいミュージシャンやバンドがをたくさんみた。

私はどちらかというとローリング・ストーンズに夢中だった。


※マージー・ビート・・・50年代後半のイギリスにおけるスキッフル・ブーム以降、リバプールで活動していたビート・グループがビートルズの成功で注目を集め、ブームになったもの。リバプールがマージー川の沿岸都市だったことから来た呼称




【海外の反応5】

・日本に住んでいる外国人であれば本当の理由を知らないのは愚か者だけでしょうね。
レノンがオノに煽られていたのは確かですから。


彼女がどのように彼に爪を立てたかを知っていれば、彼は死の直前まで彼女が拒否したために長男に会えなかったのです。

彼女が作ったレノンの人生を紹介する日本の博物館では彼の最初の結婚と長男が消されていたが、閉館直前になって死の数ヶ月前にレノンが2人の息子と一緒にいる写真が掲載された。休日に長男のジュリアンを連れ出たのはマッカートニーだったなどなど。ジョンが「イマジン」を歌っている間ですら彼とヨーコはジュリアンに会うことさえ拒否していた。


私は、ジョンやヨーコよりもポールの方をずっと信じきれます。




【海外の反応6】

・誰がビートルズを解散させたかなんて、今となってはどうでもいいことですよね。しかし、実際には多くの理由があったのですがその中でも最も重要なのは、『長い間一緒にいてお互いにうんざりしてた』ということです。重要なのは彼らの遺産です。彼らが音楽界を変え、後に続くすべてのバンドの基準となったという事実です。




【海外の反応7】

・ビートルズにはそういう時代があった。そして結局、グループを維持したいと思っていたのはリンゴとポールだけだったのだ。ジョンとポールは、ジョージに1枚のアルバムにつき1曲しか使わせなかった。だから、彼がソロになりたかったのもわかる。皮肉にもビートルズを脱退した後、ジョージは最高の仕事をしてるけどね。


┗・ジョージ・ハリスンが興味を失っていたのは、自分の音楽が注目されていないと思っていたからだぞ。リハーサルにも出てこず、1969年1月のアップル・コアの屋上でのコンサートの時には、来なければ他のメンバーから解雇されることになっていたくらいだ。




【海外の反応8】

・埼玉の「ジョン・レノン」ミュージアムに行ってきたけど.... オノ・ヨーコミュージアム.... の名前の方がいいと思った。




【海外の反応9】

・もし、彼が残ったバンドを維持したかったのであればなぜそれをしなかった?

彼らがどのようなビジネス上の取り決めをしていたのかはわからないが、ビートルズの名前を残したいのであればトリオで活動するか、レノンの代わりになる人を雇うこともできたはず。70年代のロンドンでは、才能のあるロッカーがたくさんバンドを変えていたから、彼らならすぐにレノンの代わりになることができただろうに。




【海外の反応10】

・時が来たのだと人は思う。彼らが望むのであればトリオでも続けることができただろうが、全員がそれぞれの道を歩んでいった。ジョンが最初に言い出して、ジョージも同じ気持ちだったということだろうか。






【海外の反応11】

・結局、ビートルズの面倒を見る人がいなかったのでしょうね。マネージャーはパーティーをしすぎてクスリに夢中になっていました。

ローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、バンドをまとめるために懸命に働き、ビジネスにも気を配っていました。そして彼らは50年以上も演奏を続けています。





【海外の反応12】

・これがニュース?レノンが亡くなって41年、今更この事実が明らかになって何か意味があるのか?




【海外の反応13】

・オノ・ヨーコがビートルズを解散させたのではありません。最終的にビートルズを解散させたのはジョンです。彼は意識的に彼女と一緒にいることを選択し、他の3人のバンドメンバーよりも彼女を選んだのです。


彼は、バンドメンバーがいかに重要であるかを彼女に説明することができたでしょう。彼女は彼の頭に銃を突きつけたわけではなく、彼は自由な考えを持つ大人であり、実際にバンドや音楽の方向性に飽き飽きしていました。


彼はまた、最初の妻と長男のジュリアン(彼は人生の中で本当に過酷な扱いを受けていた)との関係に悩んでいたし、後にショーンが生まれるとさらに悪化した。

先ほどの話に戻ると、これらがビートルズ解散の主な理由であり、ヨーコはただそこにいただけなのだ。しかし、彼が下した決断は彼自身のものでした。忘れてはならないのは、ジョンはポールの影にどんどん隠れていったということです。二人は非常に仲が良かったのですが、ジョンはポールのメロディックなクラシックのバックグラウンドにそれほど熱心ではありませんでした。ポールがいなくても成功したかもしれませんが、ポールの影響で高齢者も聴くようになったことは、1960年代の音楽シーンの変化の中で大きな意味を持っていました。不良少年のイメージを持ち、主に反抗的な人々に話しかけていたストーンズとは異なり彼らはを垣根を越えてファン層を広げていたのです。





【海外の反応14】

・これはシンプルな曲作りで世界中の聴衆を魅了した音楽的パートナーシップの悲しい墓碑銘さ。

音楽は誰もが持っているものだ。人が所有していると思っているのは出版社だけだ。テイラー・スウィフトはそのことを身をもって知った。




【海外の反応15】

・もしビートルズが解散していなかったら、ポールがその後に出した象徴的なアルバム「Band On The Run」を聞くことはできなかっただろうね。


┗・あるいはプラスティック・オノ・バンドの1970年のアルバムもそうですね。







以上翻訳元 McCartney says Lennon responsible for Beatle breakup - Japan Today